はじめに
ここ数ヶ月あまり本が読めていなかったのですが、ガンディー著/森本達雄訳の「獄中からの手紙」を読了することができたので、読んで興味深かったところや気になった部分について引用しながら紹介していきたいと思います。
今回は1 月にトルストイを読んでいたので、その繋がりでガンディーを選んでみました。
不盗について
不盗についての手紙の中で、まずガンディーは以下の事が盗みに含まれると言います。
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共有財産をこっそり持ち出す事
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許可なく他人のものを使うこと
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だれの所有物でもないと思い込んでなにかを使用すること
これらはどれも、誰が見ても基本的に納得のいく定義だと思います。しかし、次に挙げる内容については納得のいかない人もいると思います。
たとい所有者の承諾があったとしても、ほんとうにそれが必要でなければ、他人からなにかを受け取るのは盗みです。わたしたちには、自分が必要としないものは、一物たりとも受け取ってはなりません。(中略) たいていの人は、自分の必要量を不当に水増しし、知らないあいだに自分を盗人に仕立てているのです。
確かに自分もこの本を読む前から、人々が不必要な量まで何かを保有し独占する事には疑問を抱いていましたが、それをバッサリ盗みと言い切ってしまう事には驚きました。
ですが、言われてみれば確かにこういった行為は共有財産をこっそり持ち出す事等の延長線にあるというのは間違いないと感じました。
この手紙ではその後、こういった物理的な盗犯以外についても触れているのですが、ここではここまでの紹介に留めておくことにします。
嗜欲(味覚)の抑制
上記の手紙から一つ前に戻ります。この手紙の中でガンディーはこのようなことを言っています。
食物は、薬を摂るがごとくに摂取されなければなりません―すなわち、美味か否かを考えず、また肉体の必要に限られた分量だけを摂らなければなりません。過小量の薬は、効き目が薄いか、まったく功を奏さない。また量が多過ぎると、身体の組織に害をおよぼす。食物もこれと同じです。ゆえに、美味しいからというだけで、なんでもかんでも口にするのは、この戒律に反することになります。
必要に限られた分量だけ、という部分からは上述の不当についての戒律と通ずる考えが見えてきます。しかし、私はこの教えの解釈について疑問を抱きました。それは、なぜ肉体の必要に限られた分量という区分の中に快楽が含まれないのか、という点です。
確かに美食に傾倒し堕落することが良くないという考えには同意できます。しかし、「美味か否かを考えてはいけない」という部分には少し違和感がありました。私の考えでは、不味い食べ物を摂ることはは精神にストレスを与え、心と一体である身体に対してもストレスを与えます。美味しい食べ物は心に活力を齎し、こちらも同様に身体にも影響を与えます。
このことから、ある程度の味覚の喜びは肉体の栄養に数えうると考えるので、この解釈については少々過剰なのではないかと思いました。
おわりに
計 16 通の手紙からはインドの独立を率いた思想家ガンディーの力強い主張が感じられ、また訳者解説ではガンディーの来歴や非暴力という言葉についても語られており、ガンディーの非暴力不服従が教科書で学んだだけの言葉では無くなる良い一冊でした。
余談
この本について話した時に知人から「出てくる言葉が西洋と全然違うので覚えるのが難しい」といったような事を言われたのですが、実は同じインド・ヨーロッパ語族なので、他の西洋の言葉と同じく言葉を分解することである程度意味が推測できそうです。
例えば、抵抗運動のためにガンディーが用いた言葉である"Satyāgraha"(真理をつかんで離さない、真理の執拗な固持の意)に含まれている"āgraha"という言葉は、英語で「掴む」を意味する"grab"と語源を共にしていることが字形からある程度察しがつくと思います。